Macchin Weblog

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間違った行動には

つい○○をやってしまったということは誰にでもあるだろう。
自分も模範児童だったわけではない。むしろ,ほめられた過去を持っていない。
自分の昔を思い出しても恥ずかしくてなかったことにしたいこともたくさんある。
そういう自分が子どもの間違った行動に対処するときに思うことがある。
「過去は消せないが,これからは変えられる。」
自分がそうだったように,間違いは犯すし,悪い心だって心をよぎる。
子どものころだからこそ,反省する心を強く心に刻むことだってできるのではないか。
強い心で自分をコントロールする力となるのではないか。
きっとそれは,その子の財産になる。そう思って,指導している。
自分のことが棚に上がっていると指摘されるかもしれないけど。
教員である以上,目の前の子どもをきちんと指導していかなければいけない。
大人になった自分も,いろんなことが心の中で渦を巻く。
教員としてふさわしくありたいと思っていても,
そうなっていない自分とのギャップに苦しむ。
やはり,大人になっても磨かないといけないんだと思う。
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Comments

yochiさん,コメントありがとうございます。自分の文章から気負いがにじみ出ているのかもしれませんが,バランスはとってやっていこうと思っています。本当に棚に上がっている人は,そういうことはみじんも感じない人でしょうから,そうなりたくはないという自戒の念はありますね。自分も聖職だとは思っていませんが,人前に立つということで,何かしらの自覚というかプライドは持っておきたいと思います。自分の場合は授業のセンスはあまり無さそうですが(よくそういうニュアンスのことを言われるので),子どものために一生懸命取り組むというところで自分にうそはつきたくないな,と思っています。
それにしても,こうして声をかけてもらえるということはとてもありがたいことだと思います。こうしていただいたパワーを誰かのために使っていきたいと思います。
Macchin | 2008/02/15 20:40
偉そうなことはいえた大人ではありませんが。
過去の失敗が自分を大きくしてくれて、同じ過ちを繰り返すまいと思わせてくれますよね。自分のことを棚にあげてると思うことはないんじゃないかと・・・経験談は大人にしかできないことだから

教員として〜と考えなきゃならん立場は大変かと思います。聖職だと言われてるもんねぇ。私のいた世界でも医者は神であり看護師は天使。ありえねぇ〜!!と今は笑えます。でも、「そうあるべきだ、そうありたい」と私も思ってました、当時は。

「〜ねばならない」「〜でないといけない」
そう思うことは勿論必要だと思うのです、でも強くとらわれすぎないでくださいね
(ホンマ余計なお世話ですが)
yochi | 2008/02/14 14:27

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