今日は寺関係のある会合があった。
父の言動に批判的な意見が出た。普段なら出ないレベルのものだが,
負担していただく金額が増えるということで各地区でいろいろと意見が
上がっていたようだ。当然,意見は意見として受け止めなければならないのだが,
誤解に基づくものもあった。出された意見はすべて真摯に受け止めます
と前置きした上で,こちらの立場の考えも説明させてもらった。
もちろん,100パーセント詳しい説明ができたわけではない。
一部でも理解してもらえればという気持ちで臨んだ。
だがどうとらえられたかはわからない。ただいまできる最善は尽くした。
でもこんなことはできればしたくない。神経をすり減らす。
でも,理解者を増やしていくことで誤解に関する部分は消えていくと思うのだが。
地道にやっていくのが一番の近道かもしれない。
プロフィールにも書いているとおり,自分は教員であり,坊さんでもある。
普段はそれほど感じないのだが,予定が重なったり,休みがつぶれたり,
その他しんどいなあ,と思うことがあるとこの2足のわらじが負担に思えるときもある。
なら一つに絞ればいいじゃんと思われるかもしれない。自分もそうすることが
一番の解決策だということはわかっている。
だが,純粋に教員という仕事を辞めた場合,将来への不安は大きい。
教員をしている今の生活水準を続けていくのは難しいからである。
自分だって自分がしてもらったように子どもが大学に行きたいといえば
行かせてやるくらいのことはしてやりたいと思う。
だが,なかなか坊さんという立場でそういうことを口にするのは難しいなあ,と思う。
だが何らかの形では伝えていかなければならず,難しいなあ,と思っている。
教員としてもなんだか曲がり角にさしかかっているのか,どうもすっきりしない。
子どもとうまくいってないわけではないのだが,どこの学校でも
自分の年代の人間は少ない。採用が極端に少なかった時代だ。
だからいつまでたっても若手のまま。もう若くないのに。
自分なりに作り上げてきたと思うこともばっさり切り捨てられてしまうし,
意見が採用されないことも多いなあ,と思う。
初任者時代の学校では若いときにずいぶん無茶も言ったのにきちんと
意見も取り入れてもらっていた。前任校時代では自分のポジションがあって,
そこの場面ではまず意見を求められた。
でも今は何もないような気がしている。目の前の子どもに責任を持つ
ことについては今まで通り責任を果たしていくつもりだが,
校内でのポジションがないのでは,一体,何をどうがんばればいいのか?
最近愚痴っぽいなあ。
いろんなことが重なって,後ろ向きな思考しかできないのかもしれない。
昔,角松敏生のアルバムに
「Before The Daylight〜is the most darkness moment in a day」というのがあった。
直訳すれば「夜明け前が一番暗い」だが,そこから転じて「明けない夜はない」
という意味になる。また夜明けが来ることを信じてがんばろう。
食事会をした。話をしてみると,みんなそれぞれのところでがんばっていたり,
たいへんな思いをされていたりする。でも,それを出し合っていくことで,
なんだか抱えている荷物を下ろせるような感じがした。
それは,受け止めてもらえるという安心感からだろうか。
やはり親しい仲間と会うことは大切だと思う。
今日は参観日だった。総合で「好きなものを紹介しよう」というテーマで行った。
自分の好きなスポーツやキャラクターについて,そのものの紹介や魅力を発表した。
児童数が少ないので1単位時間で発表3分,質疑1分のプレゼンが可能だった。
最初は時間を使い切れなかったり,逆に大幅に超過したりということがあったが,
そういう中で大切なものを見つけ出したり,説明不足な点を補ったりした。
こうした作業をくり返し,よいものになっていくことを自分でも実感できた。
自分の思いを上手に伝えられる子になってくれれば,と思う。
明日,参観日の日だが,朝の集会に担任する学年の子どもたちが
音読発表を行う。音読だけでもいい感じになってきていたのだが,
教科書を持っていない他の学年にも内容がよくわかるようにしようということで
全員A3の用紙に絵や文で理解を助ける資料を作った。全校児童が少ないので
A3用紙で見えてしまう。今回は教科書をスキャンした画像を使う子以外は手書き。
スキャン画像を使う子もそのままでなく簡単な説明を加えるようにした。
自分が音読を担当する部分について最も伝えたいことを紙に書く。
そのなかで相手にこのままで伝わるかということを問いかけ,考えさせる。
どうしても自分基準で見てしまいがちだが,あえて教室の端から
黒板に置いた自分の書いた物を眺めさせることで,相手に十分伝えたいことが
伝わるかを考えさせた。すぐに気付く子とそうでない子がいるので,
気付かない子には具体的に改善点を示して伝えるために必要なポイントを与えた。
このくり返しが子どもたちの育ちにつながってくれれば,と思う。
今日は自分の授業研だった。校内研のテーマが算数的活動についてということなので,
それに沿った形の授業。内容は,角の測り方を学んだこどもたちが,
それを応用して学校にある斜面の角度を測るというもの。
結論から言うと時間不足。水平器などの新しい道具が出てきたため,
それを利用して地面との平行を出したりするのに時間がかかった。
また,学習する内容が多くてもう少しそれぞれの活動が見たかったという声もあった。
確かにそれもある。限られた時間の中でやろうとしたのでそこはある程度
予想はしていたのだが,見る側からすると仕方のないことなのだろう。
自分としてはある程度解決するのに困難さを与えてそこで思考させるという
ねらいはある程度達成はできたのかなと思っている。
ただ,後のの話し合いではやはりテーマに沿った算数的活動に絞った話し合いに
なるべきなのかなとも思う。kj法など,自分が情報教育の中で学んできたものが
生かせないかと思っているが,今自分ははそのポジションには無さそうだ。
その意欲も失せ気味なのもある。
まあ,それで肩に力の入らない授業ができたのも確か。
今日は法事を1軒お勤めしてきた。余裕を持って準備していたつもりだが,
突然の来客でお迎えが来る直前まで対応していたので結構バタバタだった。
だが,こちらの考えをよく聞いて理解して下さったのでよかったと思う。
法事ではずっと雨だったが,法話をしているうちに雨が小降りになったので
なかなかスムーズに進んだ。この家のご主人が挨拶で,
「我が親ながらよくできた人でした。今日はこの母親を偲んで供養してやって下さい」
と頭を下げられた。なかなか言えることではない。でも,すばらしいと思った。
いい雰囲気の中で終えることができた。
午後は酒も入っていたのでゆっくり休む。明日の研究授業の準備がなかなか
手が着かない。夜になってからはじめる。
やってやり過ぎることはないと思うのだが,なかなかやり過ぎるまでできないのが
自分の欠点だと思う。いつもながら時間の使い方が下手だと思う。
ご利用は計画的に。とほほ。
高校時代の担任の先生がはがきを送って下さった。
小学校における英語活動の講演もあるから来てみないかということだった。
今までALTに任せきりだったので,取り組みを反省しつつ,
新しい活動のヒントも頂いた。講師の先生は実際に小学校の教諭から
大学の准教授になられた方で,小学校における英語活動の問題点については
十分に考慮されてのお話だったのでとても納得することができた。
こうした先生方が活躍されることにより,本当に英語活動が小学校の活動の中に
きちんと位置づけられるのだと思う。今の状態では,英語の苦手な人はやらない,
得意な人はどんどんと経験を積む状態で教員に温度差が生まれている。
自分とて,昔少し得意意識を持っていたというだけで,いまは温度差で言えば
低いグループに属すると思う。
だが,こうした会に参加することで,自分の中の意識は確実に変わる。
できる限り参加していこうと思う。
表題の会にいってきた。
メンバーは顔なじみの先生がほとんど。
部会長の先生も副部会長の先生もかなり理解があるというか,
専門的にやってこられた先生方のなのでリーダーシップを取って下さっている。
自分はとなりの学校との学校間交流を授業公開することになった。
その後の話し合いでもいろいろと意見を出させていただいた。
積極的に参加させていただこうと思う。
放課後にある保護者の方が相談に来られた。
前から話したいことがあったらしかったのだが,自分が早く帰った日に
学校に来られていたようで,なかなか話せなかったらしい。
連絡帳にこちらから別件で書きこんだことがきっかけになって,
会って話がしたいと改めて申し込んでこられた。
聞いてみるとすごく気になっていたことを自分にも知っておいてほしいということだった。
特に子ども自身のことではないのだが,ある事情があってそれが子どもの様子に
影響しているかもしれないとのこと。
気になっていると誰かに話したいと思う心境に見えた。
自分も何か役に立てればそれはそれで意味のあることではないかと思えた。
ほんの少しでもいいので役に立てたらいいと思う。
誰かの役に立っていると思いたい。
今日,久しぶりにある先生が学校に来てくださった。
去年までずっとお世話になっていた先生だ。
自分の様子を察してくださっていた。表には出さないようにしてはいるが,
少しのことでもひどく落ち込むときがある。今日もものすごく居心地の悪さを
感じながら座っていたので完全に見抜かれてしまっていた。
ものすごく自分のことをプラス評価してくださっていたのにうまく反応できなかった。
帰りに短い間だったが声をかけて下さった。とてもありがたかった。
だが自分は今の学校で居場所を失っている気がする。アピールが足りなかったのか。
それともアピールしすぎたのか。全くわからない。
何とか自力で抜け出そうとはしているが,一番いいのは必要と
されているところで仕事をすることだと思う。しばらくは無理かな。
複式学級で今困っていることは,下学年の子の積極性である。
上学年の子にとっては,学習内容もよくわかり,発言できるのだが,
下学年の子は学習内容が少し難しい上に,自信がないものだから,
なかなか発言できない。昨日,少し刺激を与えてみた。
「授業は正解を言うためにあるものではないよ。自分がどれだけわかっているかを確かめるところだから,間違ってもいいからどんどん発言してみよう。たとえ間違っていても,そこからどこが間違ったのかをみんなで考えることができる。それが勉強になるよ。」と話した。
もともと素直な子どもたちなので,うなずきながらよく理解してくれた様子だ。
自分の仕事は,ここから。こうしたきっかけから,具体的な子どもの姿
につなげていかなければならない。4月から感じてきたことなのだから,
成果が上がっていなかったのかもしれない。だが,今よりよくすることが
必要なので,考えられる手だてを講じていこう。
なかなか宿題や提出物がそろわない子がいた。
自分でもそれは気になっていて,ちゃんとしようと思うのにどうしても
何かが抜けていた。先週,確実に提出するようプレッシャーをかけていた。
その子は自分のふがいなさに涙さえ流していた。これは脈ありと見て
厳しさとフォローを交えながらかかわった。
週明けの今日,その子は明るい顔で約束を守ったと言ってきた。
約束していた提出物を出せて,満足げだった。
ほんの些細なことだが,こうした進歩を大切にしてやりたい。
こんなまっすぐさを持った子どもたち。
自分の努力が進歩につながったと実感できるよう後押ししていきたい。
最近,ヴァン・ヘイレンの「ジャンプ」が何かのCMのBGMで流れている。
ちょうど自分が中学生の頃に友だちから借りたレコードをカセットに録音して
よく聞いていた。もう23年くらい前の話。カセットのラベルに曲名を
一生懸命書きこんでいた。そのおかげで英単語のスペルを間違えることは
今でもほとんどない。MTVをくり返し見て,洋楽かぶれになっていた頃が思い出される。
今はつくづくいい時代になったと思う。iTunes Storeで1曲単位で買える。
それも1曲150円。あの懐かしい思い出とともに大好きな曲がこの値段なら安い。
他にも「panama」「カリフォルニア・ガール」も買った。
今まではアルバム単位か,シングルを1000円近いお金で買わなければならず,
レンタルを利用していたが,津山か岡山まで行かなければならず,
聞きたいときに聞けるという状態ではなかった。
amazonといい,ユニクロといい,iTunes Storeといい,安価に手軽に
利用できるということは,田舎に住んでいるものとしては本当にありがたい。
夏が近づいてきて,半袖の服がほしくなった。
だが,今日も教案を立てたり,留守番をしたりと,外出することができなかった。
そこで以前から気になっていたユニクロオンラインストアを利用してみた。
6300円以上買い物をすると送料無料。結局1万円近く買った。
うまくできている。まとめ買いでお得などという言葉につられて
ついついたくさん買い込む。だが,自分の場合サイズが合わずに
あきらめることが多いのでこうして好きな色や形を選べるのはありがたい。
本当は手にとって選んでみたいところだが,これもありかな。
最近,週に2度ほど仕事帰りに歯医者にかかっている。
原因は,差し歯をしている歯茎の所に膿がたまっていたからだそうだ。
もともと神経を抜いていたところなので,膿を出してからは全く痛むことはない。
だが,見てもらっているときにその歯以外に2カ所虫歯になっていることがわかった。
ちょっとショックだが,いい機会なので治してもらうことにする。
こうして歯医者に通うことで,予約の時間までには仕事を終わらせようと行動するので,
意外にもリズムが出てきた。しばらくはこのペースでいけそう。
今日,仕事帰りに薬屋に寄ってみた。
目的は耳かきの物色。竹でできたオーソドックスなものと,
鉄の軸にワッシャーが等間隔に3つ並んでいるようなタイプのものは持っている。
今回は針金状のものがスプーンのような形でやはり3つ並んでいるタイプを選択。
1470円也。ちょっとした贅沢。帰って早速使ってみる。
わりとこまめに耳掃除をしているためか,期待しているような大物はとれなかった。
使用感は悪くないのだが,大物がとれないと少し期待はずれである。
また少し間を置いてチャレンジしようと思う。
同じようにやっているつもりでも信頼されているなあと思うときと
そうでないときがある。それは自分の心のありようと,相手側が第一印象や
その後の自分の行動によって判断をされているということなどが複雑に
関係し合っているから難しいのだが,「信頼されていないかもしれない」
と思ってしまったら,やはり焦る。存在感を誇示しようとしても,
そんなときは空回りすることが多い。かといって何もしないでいても
なかなか「まあいいや」とは思えない。それなりに自分にも認められたいという
思いはあり,それなりのことをしてきているつもりではある。ただ,それは
あくまで自分基準であり,人の物差しではない。
そこに「もしかして信頼されてないのかも」という不安がよぎる。
しかし,自分も結局人を見るときにはそういう見方をしている。
だとするなら,ある程度は理解されなくても仕方ないと割り切るか,
人がどんな基準を持っていようとも認めさせるだけの働きをするか。
割り切ったほうが簡単なんだろうな。
と自分に言い聞かせてみる。
ひとりごとでした。
と,よく子どもに言う。
自分に言い聞かせている言葉だから。何度もこれで失敗しているが,
なかなか直らない。時間の使い方がまずいのだ。
わかっていても改善することは難しい。だからこそ子どもたちには
なるべくこんな思いをしてほしくない。でも,自分と同じような傾向の子はいる。
どうすれば改善できるか。自分を実験台にしながら
日々取り組んでいくしかないんだろうな。
それにしても難しい。
カシオペアのアルバムを引っ張り出してみる。
懐かしいが色あせない。自分の高校時代はかなりカシオペアに染まっていた。
実は業間運動でテンポのいい曲をというリクエストからいくつか抜き出してみた。
子どもたちになじんでもらえるだろうか。
に行ってきた。昨日からいけたのだが,昨日はゆっくり過ごすことにしていたので,
今日の決勝をめあてに行ってきた。娘も行くというので連れて行った。
フォーミュラニッポンの岡山での開催は今年からということで,
人出もスーパーGTほどではなかった。店の数も圧倒的に少なかった。
だが,そのおかげでゆっくり見ることができた。
だんだん準備物も要領がよくなり,途中降ってきた雨にも余裕で対応できた。
あとはパドックパスを格安で手に入れて,ドライバーやスタッフを
間近で見られるようにすればレースの楽しみとしては完璧に近づくのではないかと思う。
娘も楽しんでいたのでよかった。
ここ1週間はいろいろな意味でハードだったため,ゆっくり休むことにした。
気分的に沈んでしまわないようにいろいろと変化をつけた。
まだ見ていなかった「24」を見たり,子守りをしたり・・・。
子守りの時に危ないことがあったので娘をきつく叱った。
自分なりの考えはあったようだが,自分の判断がもし間違っていたら
命にかかわることだと話した。しばらく泣いたが,これも父親の仕事だと思う。
しっかりフォローしてやろう。
家に帰ってまたゆっくり「24」を見る。これを見ている間は
余計なことを考えなくてすむ。やはり定期的に映画を見たりや読書は
入れていかなくてはと思う。心に刺激を与えていかないと日常にすら
おぼれてしまいそうになる。子どもや大人の心の有り様を考えすぎて
自分がしんどくなってしまっている。すばらしいもの,すごいもの,美しいもの
などに心を動かされ,意識的に力をもらっていきたい。
今日はものすごい雷と雨。
お昼頃には夕暮れ時かと思うほど暗くなった。雨樋が役に立たないほど
雨水が激しく地面に落ちる。帰るときには雨は上がっていたが,
道には大量の土砂が出たあとがあった。土砂崩れも怖い。
雷も半端ではなかった。子どもたちもびっくりして声を上げてしまうほどだった。
これほどの雷だと機器のトラブルを心配したが,学校の機器は影響なかったが
先日手持ちの機器で交換したばかりのISDNルータがやられてしまったらしい。
結構困る。
短い間だったが,1年生の先生から実践の様子を伺うことができた。
よく見えるという特性で子どもの反応もよく,学習に集中できたとのこと。
手応えをつかんでくださったようである。すかさず,他の教科でも
やってみてくださいとお願いしておいた。すると,うれしい返事が帰ってきた。
プロジェクタとスクリーンのセットを1年,2年教室の近くに置いて,もっと使ってみたいと言ってくださった。すぐに2年生の担任の先生を連れてきて,
ここに置いて使おうと話しをされていた。機器は整えたが,なかなかこうした
動きを作ることができないでいた。だが,これで少し動きが出てくれればと思う。
すぐに使えるアイデアを少しずつ紹介していこうと思う。
1年生の担任の先生が,
「子どもの作品を大きく写して指導してみたいんだけど」と声をかけて下さった。
このときを待っていましたとばかりに放課後に約束させてもらった。
1年生の先生は,子どもたちが書いた短作文をもとに書き方のきまりや
文字の使い方を指導したいということだった。
最初は実物投影機を出しておられたが,そういうことならとデジカメで
子どもが書いた作品を撮影し,それをケーブルでプロジェクタに接続して
マグネットスクリーンで指導するという方法を提案した。
このほうが機材が少なく手軽だということでそちらでやってみて下さるそうだ。
情報教育というとまだまだ「何か特別なもの」という意識を持たれていると思う。
しかし,子どもたちがよくわかるように工夫することとしてとらえて下されば
これほどうれしいことはない。その意味で,今回授業に生かすために
自分を呼んでくださったことは本当にありがたいと思う。
PCのトラブルを解決することも喜びではあるが,それは本来業者がすることである。
それをたまたま自分が引き受けてしまうのでPC専門係といったような
間違った印象を与えてしまうのかもしれない。
だが,自分の本来の仕事は情報教育担当であり,PC専門係ではないのだ。
本来の仕事で自分が認知されるようもっとがんばらなくてはと思う。
PC関連 | 2007/06/05 火
23:27
先日注文してとどいていた中古のネットワークメディアプレーヤ
をセットしてみた。DLNA対応なのでLANDISKのようなNASだけでなく,
自分が持っている東芝のHDDレコーダ内の動画も読み出すことができる。
これは非常に便利。自分の部屋にある東芝HDDレコーダからLANを介して
1階の食堂にあるメディアプレーヤで再生できる。但し,東芝HDDレコーダ
の場合は,当然だがBSデジ,地デジのようなコピーワンス規制のあるコンテンツは
LANに出て行かない。これは仕様なので仕方ないが,今後もう少し
規制緩和してもらいたいものである。
肝心の使い勝手はというと,DLNAクライアントが入っている自分のノートPCと比較して,
テレビに出力するために特化されたメディアプレーヤのほうが数段安定している。
ノートPCは他の通信もしているためか,CPUが他の仕事もしているためか,
コマ落ちがあったり,途切れることがある。条件は同じ無線LANであってもである。
また,テレビに出力するため画質的にもメディアプレーヤのほうが有利だ。
高解像度のPC画面ではアラが目立ってしまうが,テレビに出力する
メディアプレーヤはその点も気にならない。
学校にもそのシステムが組めれば,学校放送を一括してDLNAサーバのある
HDDレコーダで管理して,クライアント側のメディアプレーヤかPCで視聴
というのもありかもしれない。
DLNAクライアントは有料のものしかないが,いいフリーソフトでもあれば
さらに普及すると思うのだが。
今日は週明け。子どもたちも浮つき気味。あることをきっかけに一喝。
それも仕方のないことだろう。やはり引き締めは必要だと思う。
そんなこんなで子どもたちを帰した頃,携帯に連絡が入った。
うちの娘が学校でけがをして病院に行っているということだった。
定時に学校を出てメールで指示のあったものを持って病院へ。
もともともう痛みもないと聞いていたのだが,行ってみるともう退屈しているようだった。
「またおっちょこちょいをしたな」と言いつつたいしたことがないことを確認して安心した。
明日の検査で異常がなければ帰れるそうだ。
聞けば娘の他にもブランコや遊具でけがをした子がいたそうだ。
やはり週明けはどこも要注意か?
本当にたいしたことがなくてよかった。
寝たり起きたりの一日。寝ると楽なので横になることが多かった。
結縁灌頂で2日間天気のいい中,外にいたのもあるのだろう。
それにしても体力が落ちていることを痛感する。
もっと運動しないといけないのかも。
金・土が結縁灌頂の本番だった。実に所属する青年会主催のものは25年ぶりだという。
それまでの準備にほとんど参加できなかったが,実行委員の方々の
努力は大変なものだっただろう。自分も与えられた仕事を一生懸命させていただいた。
やはり物事を成し遂げるには綿密な準備と人々の協力が欠かせないと思った。
詳細は書けないがものすごくショックな出来事があった。
立ち直れないかもしれないと思った。
今まで積み上げてきたものを一気にこわされた感じがした。
悲しかったがうちの寺の諸仏と向き合った。
「ほめる」という言葉が浮かんできた。今までも心配事や悩み等は
打ち明けてきたつもりだが,それはどれも「引き算」であったことに気がついた。
つまり,問題点のここが改善されればよくなるのにという,対象に問題がある
と考えていた。だから思うように変わらないし,その思いは時として
間違った印象を与えてしまう。だが,「ほめる」ことで相手の良さを引き出していけば,
こちらの思いもきっと汲んでくれるはずだと思う。結果的には同じゴールを目指すのに,
引き算では思うようにいかず,足し算ならば時間はかかっても
狙ったゴールよりもさらにいいものになるのではないかと考えた。
そういうふうに考えるきっかけを与えられたということか。
その試練にしては厳しすぎるとも思うが,実践していこうと思う。