Macchin Weblog

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ICT活用でわかる授業フォーラム

表題の会に行ってきた。この会のチラシにもあったのだが,
「ICTは苦手」「ICTはなくても授業はできる」という人にこそ参加して欲しい会だった。
まずは堀田先生のお話。今,学力向上が大きな関心事となっているが,ICT活用はそこに大きな役割を果たすという話の筋。
大きく見せれば,子どもが何をすればいいかがわかる。そうすれば,
学習内容もわかるということ。確かに最近感じるのは,
こちらの指示自体がわからない子がいること。そういう場合には
見せる+説明するだけでかなり授業に参加させることができる。
これを普及させるためにはきちんと教師が使って結果を出すこと。
そしてその結果を持って予算要求していくこと。確かにそうだと思った。
次に県内の先生方の実践発表。やはりディジタルコンテンツや実物投影機を
使って児童生徒にわかる授業をすることをメインにした話だった。
次にパネルディスカッション。三重の中村先生は苦手な先生でも
ICTを使うようになる研修のコツを教えて下さった。
1から10まですべてを担当がするのでなく,参加者が実際に体験しながら
研修していくワークショップ形式が有効だということだった。
その時のキーワードは「すごいですね。」担当は黒子に徹するということ。
TRAINの説明もされていた。自分も使ってみようと思う。
宮城の皆川先生は,授業力がキーワードだった。授業改善をして行くにあたり,
「発問・指示」「ノート指導」「話し合い指導」「ICT活用」という4つの視点を
重視したということだった。ICTは特別なものでなく,授業改善のために
有効に活用されているかということを授業研で話し合うという。
そして,教師が授業研をすれば自分の力が伸ばせるという満足感を持てるような
工夫がされているという。自分も何度も経験したが,指導案検討の時に
指摘されたから直したのに授業後には全く逆のことをいわれ,
消耗した感しか残らないというもの。そうしたことをなくすためにも
指導案はA41枚,4つの視点を明記し,その視点を授業後に
ワークショップ形式で話し合う。こうすれば確かにどこが悪いのかわからず,
ただ叩かれただけということはなく,どこを改善すればいいのかが理解できる。
こうした取り組みで,皆川先生のいらっしゃる北方小は子どもの学力が
大幅に伸びたという。それは教師にも子どもにも保護者にもうれしい話だ。
だから教師もさらに意欲的になる。きちんとした手だてをきちんと行えば,
教師も子どもも力は伸びるのだという強いメッセージをいただいた。
感激したので会終了後にご挨拶させていただいた。
その後お礼のメールを出すと丁寧なメールがご返信いただいた。
できる人はこんなところも違うと思った。
こうした経験を少しでも自分に取り込みたいと思う。
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Comments

r_mさん,コメントありがとうございます。確かにICTに否定的な考えをお持ちの先生方にはご指摘のような授業を見て,情報教育,ICT活用教育に未来無しと判断される方も少なくないとききます。かくいう私も取り組み始めたころは自己満足の授業ばかりをやっていたような気がします。今もそうかもしれませんが・・・。ただ,今はいろんな方と出会い,自分自身が少しずつICT活用,情報教育について本質に触れる機会が多くなってきたため,以前よりはましになったかなと自負してます。それと,自分自身が真に身につけたものしか,子どもには伝えられないというのはまさにその通りだと思います。それは,教師の生き様や信念を子どもに伝えるということになるかと思います。(これは,決して押しつけという意味ではなくですが)ただ,小学校などは教える範囲が多岐にわたり,自分の専門外のことを教えることもしばしばです。ゲストティーチャーにお願いすることなどがそれにあたります。ただ,いつでも,どんなときもそれができるとは限りませんので,そういうところではほんしつそのものではないかもしれませんが,そこにデジタルコンテンツやICTによって子どもたちが知る意義は大きいと考えています。
それにしても,こうして意見をやりとりすることは自分の頭の中の整理にとても役立ちます。ありがとうございます。
Macchin | 2008/02/19 06:45
 丁寧な、返答、ありがとうございました。言われるとおりですね。
 ただ、自分が見る範囲で気になったのは…わかりやすい道具を使っているつもりでも、教師の概念ではわかりやすくても、実は子供たちには伝わっていなかったりした姿が目立つもので…教師は、自分自身が真に身につけたものの中でしか、子供たちには伝えられないものがあるような気がしてなりません。
  別の面では、新しい手法に対応できる一部の子供たちが非常に上達したことをもって、「教育上効果有り」と評価される場面も何回も目にしました。
 新しくより有効な伝達手段を真剣に、また、慎重に研究されている姿には敬意をはらいつつ、天の邪鬼で変なことを言っております。 失礼!!
r_m | 2008/02/18 00:54
r_mさん,コメントありがとうございます。ICTとはInformation and Communication Technologyの略で,ITに較べて読んで字のごとく人と人をつなぐものという意味合いが含まれていると理解してます。「道具で助けるのではなく、有史以来の、人と人の受け継ぎの中でのみ子供は育つのではないかな…そんな気がしてます。」とのこと,私も全く同感なのです。ただ,その間をつなぐものがここ10数年の間に大きく変化したのは事実です。今まで黒板がメイン,さらにOHPや掛け図を使って教師はわかる授業をめざしてきたと思います。それよりも表現範囲が広く,誰もが気軽に使える道具ができたから使おうとしているということですね。わからなくてもいいというのは現職教員の私には言えません。私の存在意義にかかわります。ただ,それはいつでも完璧にやっているという意味ではなくて,完全でないからこそ,少しでも完成度の高いものをと求めた結果,私はここに活路を見いだしています。なぜそういえるかというと,授業の入り口にすら立てない子どもが教室の中にはいます。わかる子はおっしゃる通り,"口伝"でもわかります。そうでない子にはわからない授業というのは苦痛でしかありません。日本語で話しているにもかかわらず,私たちが未知の言語で話す人の中でじっとしていなさいといわれるとどうでしょうか?何を話しているのか知りたいと思うのではないでしょうか。そして,そこに参加できないというのはとても孤独感を伴うものでしょう。だから今私たちがこの話題で考えたり,意見を出し合ったりするということはすなわちこの瞬間に生きている実感をするということだと思います。この場では私は議論の対象として認知され,認められている。その実感を子どもたちに与えるということが教育の最終目的かと思います。もちろん人生とは何か,どうしても解けない謎があるということを知るということはとても大切なことと思います。しかしそれを知ることも「考えられる力」あってのことだと思います。
くり返しになりますが,教育の営みは道具だけで成り立つものではないということは私たちも理解しているつもりです。道具に頼るのではなく,道具をうまく活用して(これは場面によってはあえて使わないこともありうるということです)子どもたちの生き生きとした心を揺さぶることができればと思っています。
こうして議論していくことで,私も生きている実感を持ちました。貴重な問題提起,ありがとうございました。
Macchin | 2008/02/16 07:08
 スミマセン、「ICT」ってなんですか???
「やはりディジタルコンテンツや実物投影機を使って児童生徒にわかる授業をすることをメインにした話だった」とのことですが、教育の最終目的は何なのでしょうか??
 児童に分かってもらうことでしょうか? 児童の最終学力を高める事でしょうか?…自分は(変人ですが)、最終的に子供たちが理解出来なくてもいいと思ってます。すくなくとも、「理解を進めるための」道具が発達するのは危険だと思っています。 分からないままでも良い、分からないままでも人生は充実する。分からないからこそ、何かを求めて日々進んでいくのだよ…道具で助けるのではなく、有史以来の、人と人の受け継ぎの中でのみ子供は育つのではないかな…そんな気がしてます。
r_m | 2008/02/16 01:09

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