無理だと思い込んでいたことが
今まで自分にはとてもできないと思っていたことがある。
それは,エクセルのマクロを使って校務に役立つソフトを作ること。
今までやっていたことといえば,学校で使っている会計ソフトの不具合を直したり,連続する操作をマクロで記録する程度のこと。ほんの些細なことだった。
今回は通知表の電子化に挑戦した。エクセルを使って今までの通知表の形式に評定や所見,一足早く電子化していた出席簿のデータを取り込む機能を実装した。
こうしたことを行うにあたり,やはりお手本としてインターネットで公開している通知表を参考にさせていただいた。だがそのままでは形式が違いすぎてなかなか使うことができず,自校の形式にマクロなどを移植しようと考えたものの,マクロにパスワードがかかっており,参照できなかった。
しばし考えたあげく,マクロを勉強して作ることにした。ここで覚えたのが相対参照で記録することと,繰り返し処理。
このことで,通知表を手軽に連続印刷する方法を身につけることができた。
後はひたすらVLOOKUPの関数を使ってそれぞれの評定と通知表の該当部分を出席番号で参照して表示させる。こうした時に関数をある程度知っておいて良かったと思った。
同時に,こうした積み重ねがないと無理な取り組みだった。
以前やりたいと思ったときには分からないことが多すぎて本当に無理だったのだ。そしてその後も無理だと思い込んでいた。
こうしたことができたのは,絶対にやりますと宣言してしまったこと。
以前の同僚が転勤で学校を去るときに,教室の掃除を夜9時過ぎまで行っており,送らなければいけない人に送られるという光景を何度も目の当たりにしていた。
これは理不尽である。どうしてデータはすでにあるのに単に手書きの清書のために時間を何時間も浪費しないといけないのか。手書きの暖かみなどといったノスタルジーの問題ではない。これは教育の効率の問題なのである。
実際に今回初めて導入して,こんなめんどくさいものは嫌だという評価はいただかなかった。まあ,作った人間に対してはそれほど厳しい意見は向けられないのかもしれないが,それを差し引いても時間短縮の効果は好評だった。子どもと向き合ったり,学期末にどうしても子どもたちに伝えたいことのために時間を割くことができるのである。
以前,校外の別の会議でこんなことがあった。「俺の若いころは指導要録(指導の記録)を2年連続で45人分書いたものだ。今だってやろうと思えばできる。」できるかできないかでいえば,そりゃできる。だって仕事だもの。
だけど,その人がそうしてがんばっていた時代と今では恐ろしく違うのである。自分が新採として入った約20年前とも全然違う。余裕がなさ過ぎるのだ。そうしたことをふまえないで発言する人を自分は信用しない。だって,こうした忙しさを解消するために集まった会議の中でのこの発言にはあきれた。
話が脱線したが,こうした厳しい状況の中で時間を捻出してよりよい教育をしようと思えば,こうした効率化しか道はないと思っている。
だから,今年の4月に通知表の電子化を実現するといって宣言し,実現させた。今,勤務校での自分の位置づけはこうした旗振り役であると思っている。研究担当として,情報教育担当として,そして現役の担任として,今,同僚の先生方が何に困り,何に苦しんでいるのかをとらえ,自分のできる範囲で改善していく。そして何よりやりがいを感じている。
無理だと思い込んでいたが,がんばって本当に良かったと思う。
それは,エクセルのマクロを使って校務に役立つソフトを作ること。
今までやっていたことといえば,学校で使っている会計ソフトの不具合を直したり,連続する操作をマクロで記録する程度のこと。ほんの些細なことだった。
今回は通知表の電子化に挑戦した。エクセルを使って今までの通知表の形式に評定や所見,一足早く電子化していた出席簿のデータを取り込む機能を実装した。
こうしたことを行うにあたり,やはりお手本としてインターネットで公開している通知表を参考にさせていただいた。だがそのままでは形式が違いすぎてなかなか使うことができず,自校の形式にマクロなどを移植しようと考えたものの,マクロにパスワードがかかっており,参照できなかった。
しばし考えたあげく,マクロを勉強して作ることにした。ここで覚えたのが相対参照で記録することと,繰り返し処理。
このことで,通知表を手軽に連続印刷する方法を身につけることができた。
後はひたすらVLOOKUPの関数を使ってそれぞれの評定と通知表の該当部分を出席番号で参照して表示させる。こうした時に関数をある程度知っておいて良かったと思った。
同時に,こうした積み重ねがないと無理な取り組みだった。
以前やりたいと思ったときには分からないことが多すぎて本当に無理だったのだ。そしてその後も無理だと思い込んでいた。
こうしたことができたのは,絶対にやりますと宣言してしまったこと。
以前の同僚が転勤で学校を去るときに,教室の掃除を夜9時過ぎまで行っており,送らなければいけない人に送られるという光景を何度も目の当たりにしていた。
これは理不尽である。どうしてデータはすでにあるのに単に手書きの清書のために時間を何時間も浪費しないといけないのか。手書きの暖かみなどといったノスタルジーの問題ではない。これは教育の効率の問題なのである。
実際に今回初めて導入して,こんなめんどくさいものは嫌だという評価はいただかなかった。まあ,作った人間に対してはそれほど厳しい意見は向けられないのかもしれないが,それを差し引いても時間短縮の効果は好評だった。子どもと向き合ったり,学期末にどうしても子どもたちに伝えたいことのために時間を割くことができるのである。
以前,校外の別の会議でこんなことがあった。「俺の若いころは指導要録(指導の記録)を2年連続で45人分書いたものだ。今だってやろうと思えばできる。」できるかできないかでいえば,そりゃできる。だって仕事だもの。
だけど,その人がそうしてがんばっていた時代と今では恐ろしく違うのである。自分が新採として入った約20年前とも全然違う。余裕がなさ過ぎるのだ。そうしたことをふまえないで発言する人を自分は信用しない。だって,こうした忙しさを解消するために集まった会議の中でのこの発言にはあきれた。
話が脱線したが,こうした厳しい状況の中で時間を捻出してよりよい教育をしようと思えば,こうした効率化しか道はないと思っている。
だから,今年の4月に通知表の電子化を実現するといって宣言し,実現させた。今,勤務校での自分の位置づけはこうした旗振り役であると思っている。研究担当として,情報教育担当として,そして現役の担任として,今,同僚の先生方が何に困り,何に苦しんでいるのかをとらえ,自分のできる範囲で改善していく。そして何よりやりがいを感じている。
無理だと思い込んでいたが,がんばって本当に良かったと思う。
Comments