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熱い思いの実践家

今日は前の校長先生の取り計らいで、ある国立大附属小学校の副校長先生のお話を伺った。
この附属小学校には今まで3回参観をさせていただいている。学習スタイルがそのまま校風となり、確かな学びを育てているというお話。
流行と不易で言えば明らかに不易の話ではあるが、その中に最新の教育理論が包含されていると感じた。
子どもがなぜ学習に意欲を持つのか。その学校では毎日日記を書かせるという。そして自由研究を年間を通して行っている。自分の知りたい思いを自分なりに捉えて追究し、わかったことを思いのままに構成や資料の妥当性を考えながら書く。そして、定期的に回ってくる発表の機会に整理して話す。こうした積み重ねが、今求められている学力に一致する。だから、以前、その学校に参観させていただいた時に、学力テストに対して何か特別なことをされていますかと質問したことがある。するとその先生は、「別に何もしてないよ」とことも無げにおっしゃった。今考えると愚問である。目先の結果を追い求めていないだけで、いつでも子どもに力をつける取り組みを行っているのだから、学力テストだからといって特別なことをしないのは当たり前の話である。
 しかし、この先生にもその学校に赴任してきてから10年目に大きな転機を迎えたという。
今までの指導観を転換させられるような大きな出来事があり、それを機に子どもは大したものだ、子どもは尊敬すべき存在だとおっしゃった。われわれ教員は子どもたちを大切な存在として扱うけれども、そこまでの思いを持って接しているかといえば、少なくとも自分はそうではなかった。指導すべき対象としてとらえている。それも間違ってはいないと思うが、指導を重ねればものすごい力を発揮し、尊敬すべき一途さや力を発揮する。そうした場面を目の当たりにすると尊敬という言葉になるのだろう。残念ながら今の自分にそこまで高められる実力が備わっていない。
 逆に言えば、ここが教員としてのゴールかもしれない。一般校よりも厳しい目で外部からの目にさらされ、全国から勉強にやってくる先生方を受け入れる国立の附属小学校において28年間という長きにわたって研鑽を重ねられたこの先生の境地に少しでも近づきたいものだと思った。
 発せられる言葉一つ一つに重みと裏付けを感じた。「俺にはまったく悔いがない」その言葉がこの先生の生き様を象徴していると感じた。本物だけが持つ光を感じ、同時にそれは自分にとって眩しかった。
まだ終わってはいない。中途半端な自分だが、やはりやるからには本物を目指したい。そう思った。
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