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筑波大学附属小学校学習公開

結論から先に言うと,もっと早くに来ればよかった。そのくらいインパクトがあった。
国語科の実践では,新聞の社説を読み比べるという実践。まさに情報教育。
新学習指導要領にメディアを取り扱う項目があるのは知っていたが,
それを明らかにしてもらった気がした。情報教育の立場から構内の先生方に
ずっと訴えかけてきた自負はあるのだが,なかなか浸透しないという焦りがあった。
話題にあがらない,情報と国語は別物というとらえ方をされているのではないか
というやるせなさがあったが,そこを突き破ってもらった感じ。国語の専門家が
「これからは国語でメディアを扱う学習をきちんと位置づけて取り組むのだ」と
はっきり言われたのだ。水戸黄門の印籠に近い効果があると思う。
自分も自信を持って伝えよう。伝え方,言葉の選び方,意図をくみ取って読む
また,そうした立場に立ってものを書いて(表現して)みるということを
もっと声高に宣伝していこうと思う。大学では国語を専攻していた自分だが,
自分の中で自分を半端者と決めてかかっていた部分があったように思う。
もっと国語的な視点からのアプローチも駆使して自分自身が大切なことを
伝えて行こうと思う。
総合的な学習の分科会も熱かった。時間数の縮減については附属小の先生たちも
忸怩たる思いがあったのだろう。もっと先生自身が楽しくあるべきだという
明快な主張が感じられた。学年ごとに取り組む内容があらかじめ決められている
学校も少なくないと思うが,それがルーチン化して本来総合的な学習の時間が持つ
生き生きとした活動のよさ,生きる力を育てるという大切な理念が
置き去りにされ,学力低下のやり玉に挙げられている。本当にそうだろうか?
いやそうではないという強烈なアンチテーゼだった。ここに先生方の意気込み,
熱さを感じた。分科会に出演してくれた子どもたちの発表は皆すばらしく,
教科としての学力に戻っていく要素が十二分に感じられた。
きっとものすごく忙しいはずなのに,どうしてこんなに自由で,柔軟な
発想ができるのか?それに対して自分はどうか?附属小学校の子どもにできて
自分の学級にできないのはなぜなのか?答えが見つかった気がした。
その答えとは,自分で自分の学級の子どもの力をのばすことをはじめから無理だと
決めつけてかかっていたからだと思う。もっといえば,忙しさや,環境が違うことを
言い訳にして,はじめから努力していなかった自分が一番の原因だったのだと思う。
もしかしたらいつまでたっても追いつけないかもしれない。
でも,近づこうと努力することならできる。今,自分にできることを
きちんと積み上げていこうと思った。
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