Macchin Weblog

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やっと通知表モード

たいてい自分はスロースタート。今回通知表の締め切りが早く,
自分も始動せざるを得なくなった。ただ,成績をあまり早く締められないので,
そのあたりの調整が難しい。ただ,子どもの数が少ないので,絶対的な時間は
それほどかからない。だが,余裕はほしいので睡眠も取ってあまり無理せず
やっていきたいと思う。でも今晩は少しがんばるかな。
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Comments

r_m さん,コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり,今は「絶対評価」で評価するようになっていますが,ご指摘のような理由で完全な絶対評価というのは難しいと思っています。
評価するにあたり客観的な基準を設けてそれ達しているかどうかを判断して評定するわけですが,
それは担任教師が行うので,絶対評価の理念の上に担任が客観的に評価を行うということになります。
もちろん学校ごとに評価の基準を工夫してつくり,担任が替わるごとに評価の「ぶれ」を最小限にしているところもありますし,私もそうあるように努力はしているつもりなのですが,
いかんせん基準に基づいて判断するのが「自分」であるため,他の先生と隅々まで判断が同じかと言われれば,
私はそこまでは自身がありませんと答えると思います。ですが逆にそれが「人間が教えることの良さ」になっている部分もあると思います。
この先生に持ってもらってうちの子は伸びたとか,それほどでもなかったと感じることがきっとおありでしょう。そういう子が多いほどその先生はよい先生ということだと思いますが,いろいろなタイプの子どもがいて,一般受けはよくないけどこんな子どもとはよく合う先生というのもいらっしゃると思います。でもそういう子にとってはなくてはならない存在だと思います。子どもの多様性はよく論じられますが,先生の多様性はどんどんつぶされているように思います。もちろん法に則った範囲でというのは言うまでもありませんが。
評価から脱線してしまいましたが教員もいろいろなタイプがあって,そういう人からもらう評価も様々ですが,なるべく客観的な基準に従って公平にという理念は皆持っていると思います。
その上で,担任の先生の教育方針を感じていただけばこれ幸いかと思います。
私も納得のうえ協力していただけるような評価をがんばります。とぐっすり眠ってしまった私はすっきりとした頭で申し上げさせていただきます。(笑)
Macchin | 2007/07/12 06:53
 ごくろう様です。この時間も作業中でしょうか?
 「通知表」と聞いて、今なにかと話題になっている、「相対」対「絶対」評価論を想しました。
理論としては、「評価者への信頼」に立った上での「絶対評価」が最適。
 しかし、現実には…指導する教師と、評価する教師が同一人物という根元的な矛盾をかかえている。
 おまけに、もう一つ上の矛盾として、「教師は自分の教育方針に、誇りを持つが故に、教育は成り立つ」ということがありますよね。人の教育は、他人に評価される為にあるのではなく、自分の信念に応じて、次の世代を育てるからこそ、多様で力強い社会が継続されて行く。
 もし、何だかの社会基準が出来上がれば…そこだけ見れば「公平で安心」かもしれませんが、その時点で、社会は進歩しなくなる…
 現場の、macchinさんには、是非、ゆっくり寝たあとで、余裕も持って、子供達の将来につながる評価をお願いします。
 …訳のわからん注文でスミマセンが…
r_m | 2007/07/12 02:14

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