結局自己肯定感の問題だった
最近感じていた自分への強烈なイケてない感は
結局自己肯定感の問題だということが分かった。
自分という存在が役に立っているのかいないのか,全く分からなくなっていた。
しかし,図らずもそれが久々にすっきりした。
以前の同僚が仕事の上での悩みをかかえて,自分に会いたいと誘ってくれた。
この瞬間,「ああ,これだったのか」と妙に納得した。
昨日の夜,連絡が入り,都合を合わせた。
今日は朝から岡山で法事だったので,終わり次第待ち合わせ場所の
津山に向かった。会って話をしていて,自分にも話せることがある,
役に立つことができると実感することができた。
どうして僕に声をかけてくれたの?と聞いてみると,今まで一番居心地が
良かったのが以前その同僚と一緒に勤めて職場だったこと,そして年齢の近い
自分がすごく話しやすかったことなどを話してくれた。
自分という人間を選んで話してくれたことが分かり,うれしかった。
実際,今までこうして相談を受けたり,頼まれごとをしているときに
自分が役に立っているかどうかなど,気にしたことがなかった。
だが,これからはやはり声をかけられるのを待っているだけでなく,
こちらからの働きかけも大切にしていこうと思う。
親切の押しつけにならないように気をつけなければとは思うけれど。
結局自己肯定感の問題だということが分かった。
自分という存在が役に立っているのかいないのか,全く分からなくなっていた。
しかし,図らずもそれが久々にすっきりした。
以前の同僚が仕事の上での悩みをかかえて,自分に会いたいと誘ってくれた。
この瞬間,「ああ,これだったのか」と妙に納得した。
昨日の夜,連絡が入り,都合を合わせた。
今日は朝から岡山で法事だったので,終わり次第待ち合わせ場所の
津山に向かった。会って話をしていて,自分にも話せることがある,
役に立つことができると実感することができた。
どうして僕に声をかけてくれたの?と聞いてみると,今まで一番居心地が
良かったのが以前その同僚と一緒に勤めて職場だったこと,そして年齢の近い
自分がすごく話しやすかったことなどを話してくれた。
自分という人間を選んで話してくれたことが分かり,うれしかった。
実際,今までこうして相談を受けたり,頼まれごとをしているときに
自分が役に立っているかどうかなど,気にしたことがなかった。
だが,これからはやはり声をかけられるのを待っているだけでなく,
こちらからの働きかけも大切にしていこうと思う。
親切の押しつけにならないように気をつけなければとは思うけれど。