PC関連 | 2015/01/07 水
01:22
このblogを放置していたのはコメントシステムがうまく働かなくなった(ように見えた!?)のが一つの理由だったのだが、別の理由として、このblogシステムであるSerenebachの更新が止まってしまったことも挙げられる。とはいえ、十分にblogとしての機能は果たしているし、開発の方が一人で行われているようなので、無料で使わせていただいている側としては無理は言えない。
Wordpressに移行しようとするも、レンタルサーバーのXREAがphp、MYSQLのバージョンを長い間そのままにしていたため、動作要件を満たさなかったので移行できずにいた。
このほど、待ちに待ったphp、MYSQLの仕様が最新版にアップデートされるとのことなので、これを受けてWordpressに移行してみようと思っている。過去の記事をどのようにするかはまだ決めていないが、移行できるならしてみたいと思っている。
それにしても、mixiも、Facebookもやっているのに、わざわざレンタルサーバでblogシステムをインストールするなんて物好きなのかもしれないが、もう、技術的興味のみかもしれない。また、Facebookでは書きづらいことを書いていくのもいいかなと思っている。もちろんインターネット上にものを書くということは、どのような受け取り方をされても問題のないような書き方を考えて書くことになる。
そのために頭を使うことがやはりコミュニケーション力にプラスになるのではないかと思っている。現に毎日記事を書いていた頃は書くのも速かった。感じたことをまとめて文章にする、この作業をまた再開し、筋肉のように維持していきたいものだと思っている。
PC関連 | 2015/01/05 月
21:21
自宅のメインマシンをアップグレードしようと思い立ち、手持ちのWindows8ディスクをセットした。
もちろん下準備は万端…のはず。アップグレードインストールは手持ちのソフトやファイルを保持したままOSをアップグレードするので、基本的には手間なしになるはずだった。
手順通りセットアップを進めると、Cドライブの空き容量、ASUSのUSB3.0ドライバが問題になることがわかり、128GBSSDから手持ちのSSD256GBへ引っ越し。そしてUSBドライバをアンインストール。
よし、これで問題はクリアになったと思い、再起動してインストール。90%まで進み、あと少しというところで「インストールできませんでした」のメッセージが。
常駐ソフトを止めて再度挑戦すること3回。いずれも失敗。
さすがにあきらめてクリーンインストールに方針転換。バックアップに万全を期すため、Acronis True Image 2015を導入。C,Dドライブともバックアップし、さらにAdobe関連の認証を解除し、さらにDigitalstageのLife3の認証解除に取りかかるもここでさらにどつぼにはまることに。認証解除がどうやってもうまくいかない。それに気づいたのが昨日。しかし、Digitalstageのサイトのサポート受付は5日から。
すでにここまで3日近くかけているものの、今日まで持ち越しとなった。サポートからの返事はもうできたことになっていますので、そのままアンインストールしてかまいませんとのこと。???
気を取り直して改めてバックアップを取り直していると、仕事から帰宅してこの時間までかかってしまった。
これからやっとクリーンインストール。さて、どうなることやら。
昨年から始めた行事で、学業成就祈願というのがある。
一昨年、寺の北約200mのところにあるお堂を改築し、それに伴い何か新しい行事をということで発案した。
去年も今年も小中学生がお参りしてくれて、小さなお堂がいっぱいになった。ありがたいことだ。
自分が修法をしている間に子どもたちがただ待つだけではもったいないので、勉強や読書、なりたい自分の具体的な姿をノートに書くようにしている。修法が終わるまでの約一時間、子どもたちは一生懸命取り組んでくれている。
ゆっくりできるお正月にわざわざ来てくれるだけですばらしい。子どもたちが自分の力で未来を切り開いてくれることを願う。
毎年1月1日は友達がうちに来て大いに飲み、話す。
他愛もないこの行事が、自分にとってかけがえのない時間になっていることに気づく。
普段はなかなか会えないけれど、話すとすぐに打ち解けて本音で話す。すばらしい時間が流れている。昨日の初詣の疲れからか、ビールの飲み過ぎか、途中眠くて仕方が無かったけれど、そんなのお構いなしにしゃべる、しゃべる。
もう、今から来年が楽しみになる。
こうして始まる1年はとても愉快で、弾みがつく。もう若くはないけれど、高校時代にタイムスリップできる貴重な時間。
25日、26日は2日とも出張を入れた。寒い中急いで出勤するより出張して勉強させてもらおうと考えたからだ。実際その目論見は正しかったと思っている。
自分の場合、年休が足りなくなることがあるため、朝ゆっくりしてから出勤するという事は考えにくかったからだ。実際に24日には葬式があり一日お休みをいただいていた。休業中の計画を出す時点では葬式がいつ入るかは想定できないため、こうして出張入れることがある。
このような事情はあるものの、やはり出張に行くと学びがある。1日目は情報教育。2日目は学力向上についてだった。
1日目の講師の先生はICTのCに着目せよというお話だった。Cとはコミニュケーションのことであるが、教室にいくら最新鋭の機器が入ったとしても、それが子どもの学びにつながらなければその機器が導入される意味はないということだ。自分ももちろんICT機器の導入を推進している立場だが、その視点を常に意識しているつもりではある。だが、改めて全国のトップレベルで研究をされている先生からお話を伺うと、その方向は間違っていないのだと安心することができた。
2日目は、学力向上について必要な事は、何か特別なことをするのではなく、効果が出る仕組みを作り、徹底することだということがわかった。
たとえば時間通りに授業を始める、挨拶や靴箱の整頓をきちんとさせる、机の上の教科書やノート、筆箱の置き方がきちんと決まっているなどの極々当たり前のことがきちんとできるようになり、学習の環境が整っていることがまず第一で、そこからわれわれ教師が子どもにわかる授業を展開し、そして分かるまで粘り強く指導すること。それを徹底させること以外に学力向上はないということを改めて再認識させられた。
この当たり前のことが必要不可欠であることは教員なら誰でもわかることである。だがそこが難しい。実現させるために校内の組織、校外の組織を見直したり整備したり、またそこに関わる人々の意識をどのように改善していくか。そこが課題だと思った。
昨日は葬儀のため、学校を休ませていただいた。昨日は終業式で色々と行事や仕事もあったが、無理をして行くのはやめにした。
普通、葬儀の後は学校に戻り、2時間だけでも勤務をするようにしていた。なぜ勤務をするかというと、年次休暇の節約のためである。
通常、教員には40日の年次休暇が認められている。しかし、これは前年度の繰越分を含めてのことであり、本当は20日の中でやりくりすることになる。この20日に収めるためにかなりの努力をしている。
うちの寺では、葬儀の依頼が年間20件を超える。自分が葬儀を受けるようになってからも、このペースに変わりは無い。当然、土日の葬儀や家族葬もあるけれども、やはりウィークデーの通常の葬儀が1番割合としては多い。だから、ウィークデーの葬儀で一日休みを取ってしまうと、それだけで年次休暇の20日分は飛んでいってしまう。
だからこそ、たったの2時間でも勤務をし、4件このパターンでいくと1日節約できる計算でがんばっている。このほかにも棚経や年3回ある賑やかに行う大師縁日、組内寺院の抜けられない用事等があり、本当にギリギリの綱渡り状態なのである。自分の用事をするための休みというものはない。風邪をひいても休むための時間は無い。こんなふうにしてやりくりにやりくりを重ね、工夫して休みを節約した結果、今年は20日以内に収めることができ、昨日は年末の締日に対して2日休みを残すことができた。だから昨日の葬儀で一日お休みをいただくことにした。何もなければまた出勤したパターンだが、薬も少なくなり、かかりつけ医に通院しようと思ったのだ。
学校での仕事として校内研修や初任者指導があるので、葬儀から戻ってこの仕事をすることもある。また、どうしても受け持ちの授業を担任に返すようになるので、同僚の理解なしにはたとえ制度的には休めても、この仕事を続けるのは難しい。だからこそ、学校での人間関係にも気をつかってやっている。
弱音を吐けば、やめればいいではないかと言われてしまう。当然のことだ。また、ただやっているだけでは中途半端なという指摘をいただく。実際、教員も坊さんも中途半端じゃないのかと指摘を受けたことがある。それはとても自分にとって辛い指摘だった。そうなりたくなかったからだ。どちらもやると決めてやっていることなのだから、水準以上の結果は残したいと思っている。しかし、言い訳をすればば、自分は中途半端ですと言っているのと同じである。そんな性分だから仕方ない。ただ、体の方はいつまでもこの状態を許さないだろう。だから言い訳をするのではなく、本当に無理になってしまった時は、それが教員のやめ時となるだろう。好きでやっていることなのだから、少しでも長く続けていきたいと思う。そんなことをお休みをいただきながら考えた。
昨日は朝から晩までのお勤めとなった。前日夜は学校の打ち上げのため、打ち上げ会場に宿泊。
朝6時に宿を出発し7時過ぎに自宅に到着。8時から家淨に出る。そして、9時50分に寺に戻り、お迎えの車で法事のお宅へ。気持ちよくお勤めさせていただき、12時過ぎに帰宅。そして1時には午後からの家淨に出発。結局午後の家淨は5時前までかかった。そして、お寺に戻りすぐに荷物を準備し月命日のお参り。そして6時過ぎにはお通夜の迎えが来て、お勤めして帰宅したときには、9時を回っていた。さすがに13時間勤務は疲れる。
ただ、檀家の皆さんとのふれあいは疲れた体を引きずりながらでも発見や学びがある。人生の様々な経験を積まれた方のお話には本当に教えられることがある。ありがたいことだ。
今日は毎月21日のお大師さまの縁日。
地域の人々は、終(おと)大師と呼んでいつもより賑やかに行う。
今日はいつも来られる先達の方の姿が見えない。すると、別の先達の方から、現在入院中であることを聞かされた。車に接触しそうになり、転んだ拍子に頭を打ったのだという。
とっさに「やっぱり信心のおかげですかね」と口をついて出た。教えてくれた人も、「ほんまにそうじゃなあ。」とうなずいてくれた。
実はこの入院した先達さん、以前も再起不能と言われていたが、見事に復帰し先達として活躍しているのだ。この先達さん自身が「わしは、信心しょうってほんまによかった」と、常日頃から語っておられたのだ。
もしかしたらこのような会話は一般の場では出にくいのかもしれない。だがこのお大師さまの縁日ではこうした話が当たり前に出てくる。
お大師様のお力にすがりたい人々が集う場であるから、自然とそうなるのかもしれない。こうした人々が集う場があるから、お四国巡りもありがたいことに大型バスがいっぱいになるほど人が集まる。偶然ではない何か特別なご加護を感じている方々がこんなにもいることにありがたさを感じる。
忙しい中にも充実感を得られた一日となった。
年末のお参りは土日を使って毎日行っている。今日も印象的な出来事があった。娘と同級生のその少年は以前から礼儀正しく接してくれるので法事で紹介したりしていた。法事で紹介した理由は、彼の祖父が亡くなって49日をお勤めする前、運動会に娘の応援に行ったところ、彼が自分を見つけて駆け寄り、「お葬式ではお世話になりました。49日ではまたお世話になります。」とペコリと頭を下げたからだ。
そこに彼と彼の祖父との間の関係性が窺われた。
彼は今日も自分がお参りに来たのに気づいて、出てきてすぐに挨拶をしてくれた。彼は無邪気に自分の娘のことを聞いたり自分のことを話したりした。「またおじいちゃんの1周忌が来るね。」と話すと、彼はまた「よろしくお願いします。」と礼儀正しく話した。そんな彼の姿を見ておばあちゃんは目を細めていた。またおばちゃんはこうも話した。「おじいちゃんはこの子のことをとても気にかけていました。本当に可愛がっていたんです。」と。
生前のこうした関わりが亡くなってもなお残された人々に影響与える。そう強く感じさせてくれる出来事だった。
今日は前の校長先生の取り計らいで、ある国立大附属小学校の副校長先生のお話を伺った。
この附属小学校には今まで3回参観をさせていただいている。学習スタイルがそのまま校風となり、確かな学びを育てているというお話。
流行と不易で言えば明らかに不易の話ではあるが、その中に最新の教育理論が包含されていると感じた。
子どもがなぜ学習に意欲を持つのか。その学校では毎日日記を書かせるという。そして自由研究を年間を通して行っている。自分の知りたい思いを自分なりに捉えて追究し、わかったことを思いのままに構成や資料の妥当性を考えながら書く。そして、定期的に回ってくる発表の機会に整理して話す。こうした積み重ねが、今求められている学力に一致する。だから、以前、その学校に参観させていただいた時に、学力テストに対して何か特別なことをされていますかと質問したことがある。するとその先生は、「別に何もしてないよ」とことも無げにおっしゃった。今考えると愚問である。目先の結果を追い求めていないだけで、いつでも子どもに力をつける取り組みを行っているのだから、学力テストだからといって特別なことをしないのは当たり前の話である。
しかし、この先生にもその学校に赴任してきてから10年目に大きな転機を迎えたという。
今までの指導観を転換させられるような大きな出来事があり、それを機に子どもは大したものだ、子どもは尊敬すべき存在だとおっしゃった。われわれ教員は子どもたちを大切な存在として扱うけれども、そこまでの思いを持って接しているかといえば、少なくとも自分はそうではなかった。指導すべき対象としてとらえている。それも間違ってはいないと思うが、指導を重ねればものすごい力を発揮し、尊敬すべき一途さや力を発揮する。そうした場面を目の当たりにすると尊敬という言葉になるのだろう。残念ながら今の自分にそこまで高められる実力が備わっていない。
逆に言えば、ここが教員としてのゴールかもしれない。一般校よりも厳しい目で外部からの目にさらされ、全国から勉強にやってくる先生方を受け入れる国立の附属小学校において28年間という長きにわたって研鑽を重ねられたこの先生の境地に少しでも近づきたいものだと思った。
発せられる言葉一つ一つに重みと裏付けを感じた。「俺にはまったく悔いがない」その言葉がこの先生の生き様を象徴していると感じた。本物だけが持つ光を感じ、同時にそれは自分にとって眩しかった。
まだ終わってはいない。中途半端な自分だが、やはりやるからには本物を目指したい。そう思った。