勝負
数日前から学級で気になっていることがあった。
それは,まわりの子がある特定の子にものすごく気をつかっていること。
不満はあるのに,まわりの子が何かがまんしている。相棒の先生と相談して,
近いうちにその状態を解消しようということになった。もちろんその状態になった時を
ねらい打ちするのである。その時でないとわからないと考えたからである。
その時はすぐにやってきた。朝の会で様子がおかしい子がいて,聞いてみると,
「誰かに後ろからけられたような気がする。」と。
「変な話だなあ。普通けられたと思ったらだれがけったか見るでしょう?」
「いや,わからなかった」
「そんなはずないよ。周りの子はどうしてたの?」とふってみる。
やはりいいにくそう。
そこで,詳しく書くことは避けるが単刀直入に切り込む。
そこから本音がどんどん出てくる。本来そうあるべきなのだ。
友だちに対して無用な遠慮をすることで自分の心にがまんが生まれ,
それはがまんをさせている相手のせいだということになる。
仲間ならばおかしいと思ったことをきちんと伝えてやるべきではないか?
時にぶつかることがあっても,それはそこで解決していけばいいじゃないか。
ということを話した。
年に何回かはこういう場面がある。
やはり,こういうときには大人がきちんと導いてやるべきだと思う。
それは,まわりの子がある特定の子にものすごく気をつかっていること。
不満はあるのに,まわりの子が何かがまんしている。相棒の先生と相談して,
近いうちにその状態を解消しようということになった。もちろんその状態になった時を
ねらい打ちするのである。その時でないとわからないと考えたからである。
その時はすぐにやってきた。朝の会で様子がおかしい子がいて,聞いてみると,
「誰かに後ろからけられたような気がする。」と。
「変な話だなあ。普通けられたと思ったらだれがけったか見るでしょう?」
「いや,わからなかった」
「そんなはずないよ。周りの子はどうしてたの?」とふってみる。
やはりいいにくそう。
そこで,詳しく書くことは避けるが単刀直入に切り込む。
そこから本音がどんどん出てくる。本来そうあるべきなのだ。
友だちに対して無用な遠慮をすることで自分の心にがまんが生まれ,
それはがまんをさせている相手のせいだということになる。
仲間ならばおかしいと思ったことをきちんと伝えてやるべきではないか?
時にぶつかることがあっても,それはそこで解決していけばいいじゃないか。
ということを話した。
年に何回かはこういう場面がある。
やはり,こういうときには大人がきちんと導いてやるべきだと思う。