Macchin Weblog

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語る

今日は朝から勤務校の校区で行われる秋祭りに小学校からもバザーを出店するため,
昼過ぎまでその祭りの会場にいた。その後帰宅。
2時からお参りがあり,読経をすることになっていたので準備をしてお迎え。
その後お墓も依頼により拝むことに。その方はお墓を整理しようとしたが,
位牌を照合しても見つからない石塔があるとのこと。どうすべきか迷っていたらしい。
拝んだ後,こちらの考えを話させていただいた。
・自分の家の敷地内にあるということは何らかの理由で
 引き受けた可能性があるということ
・たとえ後から持ち主が現れたとしても,事実上何十年もの間世話をしてきたのだから,
 むしろよい行いであること
を話させていただいた。そのことによって,安心された様子だった。
当事者であれば,考えがあったにしても踏み切ることは勇気のいることだと思う。
ましてや,墓に関することであれば,いろいろ心配事があったに違いない。
だから,僧侶という立場でその点をはっきり話すことにより,
迷いを取り除くことができると考えた。

夜は1年前に連れあいを亡くされた方を励ます会を行った。
その方は直接の親戚ではないのだが,いろいろな縁でつながったメンバーで
励ますことになった。
奥さんを突然亡くされたその方は1年間,楽しむということを自ら避けることで
奥さんにしてやれなかったことをの罪滅ぼしと考えていた節があった。
話を聞いた後,
「十分すぎることをやっていると思う。そろそろ自分を犠牲にすることをやめてもいいのではないか」
と話した。少しでも心の重荷がとれるよう一生懸命話した。
もちろん話したからといってその場で悲しみがなくなるわけではない。
ただ,少しでも軽くなれば,今までとは違った考えも出てくるだろうと思う。
実際にその人は
「みんなありがとう。かなしいときは泣くかもしれないけど前向きに生きようと思う。」
と話した。少しでも助けになれたのならこれほどうれしいことはない。
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