Macchin Weblog

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教えるということ

教えるというと「知識の詰め込み」のように言われたことがあり,
自分もしばらくは子どもたち自身に考えさせるようにしてきた。
ところが,自分の中で最近,一つの思い違いに気がついた。
それは,
「考えられるようになるには,ベースになる体験や思考になる元が必要だ」
ということ。それは自然に身につくものではなく,何かの体験や経験などの
外部からの刺激によって思考回路が働き,次からの判断のよりどころと
なっているのだと思う。当たり前だといわれるようなことだが,
やはりそれを念頭に置いておいた方がいいと思う。
子どもたちはもちろん,大人だって知らないこと,関心のないことには
思考が働くはずもない。よい出会いがあり,いい思い出が心に残っていれば,
またやりたいと思うだろうし,いやな思い出があるものに対しては
自然と避けようとするはずである。それは,すべて学びなのだと思うし,
生きていく上で必要なものに対しては,外部からの刺激として,
「教える」ことが大切なのだと思う。教科書で今まで子どもたちに
経験のないものを取り扱うときにはやはり「教えて」いる。
全くその概念を知らないのだから。ただの「四角形」から「正方形」にはならない。
正方形の構成要素を気づかせることはできても,それが「正方形」だということは
教えなければわからない。
こうしたことはわかりやすいのだが,「対人関係スキル」や
「人としてどう生きるべきか」といった部分についてはまだ自然に身につくもの
と思われている節がある。
しかし,この部分をあえて「教える」必要があるように思う。
自分を振り返ってみても,自分の子どもと関わる時間が少ないことが
気になっている。その中でどれだけ教えられているだろうか。
学校にお任せ,自分の両親にお任せになっていて,なんだか成長しているけれども
これは自然に学んでいくものなんだなと,自分自身が「間違った学習」
をしている可能性があるなと思った。
自分の子どもにしても,担任している学級の子どもにしても,
「教えるべきところ」「すでに教えたので考えさせるべきところ」
「教えたけれどもまだ定着していないのでもう一度教えるべきところ」
をうまく分けて関わっていかなければと思った。
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私信

見て下さっている方にお知らせします。以下は個人に宛てて書いたものです。
該当しない方,ごめんなさい。ただ,どうしても伝えたいことがあるので,
あえて書きます。用事が済んだらこの記事は削除する予定です。


この場で書くことはどうか迷ったけど,
メールアドレスを見つけられなかったので,ここに書きます。
あなたのblogの記事が気になっています。
困っているなら,どうしてもつらくて仕方ないなら力になりたいと思います。
ここでどんな言葉を使ってみたところで何の気休めにもならないことは
百も承知です。でも,あなたの力になりたい。ただそう思うのです。

もし見てたらすぐにわかると思います。もし大丈夫なようなら連絡下さい。
待ってます。
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